人間は“生きていることが当たり前“と、頭のどこかで思っています。
そのため身内の死や大切に育ててきたペットの死に対して普段の生活では味わえないほどの感情になったり「大切な人がいつか死んだら嫌だ」「ペットの死ぬところなんて見たくない」などでしょう。
ですがそもそもどうして人間は自分、もしくは身近な人の死を怖がるのでしょうか?では、人間が死ぬことを怖がる理由をご紹介します。
1.痛みを感じる恐怖
自殺願望がある方でも死ぬ時は相当な覚悟が必要で、気の弱さや強さに関係なく「飛び降りて死ねなかったらただ痛いだけ…」「刃物で刺して死ねなかったら痛いよな…」などと、死ぬということよりも、死ねなかった場合の痛さを考えてしまいます。
また、病気でも同じです。
今の医学では助からない病気にかかってしまった場合、病状が進行するにつれて亡くなる前に必ず痛みに耐え、苦しみます。
また、事故や事件等に巻き込まれて亡くなった方に対して「怖くて痛かっただろうね…」と言う方も多く居ます。
事故や事件等に実際あって亡くなった方でないとその時の痛みは分かりません。
そのため人間は“死=痛み“というイメージがいつしか頭の中に残るようになり、死ぬことが怖くなる理由でもあります。
2.先のことを知らない恐怖
亡くなった人のことを「お空に行く」「お墓で眠っている」と言ったり「天国と地獄があり、良いことをした人は天国に行く。
悪いことをしてきた人は地獄に行く」なんて言われていますが、死んでしまった先のことは亡くなった人たちにしか分からないことです。
もし天国や地獄があるというのであればその天国や地獄はどこにあるのかという話にもなります。
また、テレビや映画等では亡くなった人が生霊として表れてきたり、霊感が強い人であれば亡くなった人と話せるということを言っていますが、それが本当なのかも分かりません。
もしそうであれば死んでいないようにも思えます。
そのため死んでしまったら、死んでしまった人たちはどこで何をしているのか不明で、亡くなった人の世界ではなくなった人同士で会話ができるのかというのも不明なためこうした誰も本当の世界を知らない、予想できない恐怖から死ぬことが怖くなる理由でもあります。
3.環境への恐怖
身内が病気で亡くなるのであれば亡くなるまでの期間にある程度の心の準備ができるため、死に対してそれほど恐怖を感じることはありません。
ですが防ぎようのないいきなりの事故や事件等に巻き込まれて身内が亡くなってしまった場合、人間は死に対して恐怖を感じるようになります。
いきなりの死は心の準備が一切できず、残された方は「ケンカしたからこんなことが起きたんだ」「あの時送ってあげていれば…」などと悔やんでも悔やみきれない状態になり、気が付くと凄まじい孤独感に襲われてしまいます。
当たり前のことながら死んでしまうとその人に一生会えなくなってしまうので、いきなり身内やペットが死ぬという恐怖と孤独感を味わったことがある人や、想像をしたことがある人はこうした環境への恐怖から死ぬということに対して怖さを感じる理由でもあります。
4.死に対する恐怖
人間はわがままな生き物で、生きている内は「〇歳まで生きれば十分」「人生つまらないから死にたい」「死んで楽になりたい」と思うのですが、自分の死が近づくと「死にたくない」と思うようになり、今までつまらなかった人生だったとしても死のことを考えるとなぜか今までの出来事が美化され「○○の時楽しかったな」「もっとみんなと遊びたかったな」などと思うようになります。
ですがこれは死に対する恐怖から今までの出来事が美化されて「もっと生きていたい」と思うだけであり、まだまだ生きられる人生がある人は「早く死にたい」「死んで楽になりたい」などと、死に対して安易な考えを持っています。
そのため自分の余命を知っている人は今までの人生が美化されてしまっていることでより死に対して怖さを感じる理由になります。
身内やペットの死を身近で体験したことのない人間は死に対してそれほど怖さは感じていません。
今までの人生の中で身内やペットの死を何度か体験している人間は、環境への恐怖などを経験しているため人間の死を怖がります。
今生きている人は奇跡が重なってこの世に生まれてこれたことに感謝し、自分の命を粗末にせず1日1日を大切に過ごしてほしいです。
生きていれば沢山の悩みはつきもので、やりたくないことも沢山あります。
ですがそこで自殺等をして死んでしまってはそこで終わりです。
正直、死んでしまえば楽になるでしょう。
ですが生きたくても生きられない人は世の中に沢山存在し、生きたくても生きられずに亡くなってしまっている人も沢山居ます。
今生きているということは奇跡で、とても素晴らしいことなので、何があっても死は選ばず、自分の命を大切にしてください。