世の中には案外に無教養な人は多いものです。
むしろ無教養の人の方が多い、と言って良いでしょう。
しかし何事にも程度、というものがあります。
そこで、今回は特に無教養な人の特徴をご紹介しましょう。
1.考えるのが苦手
無教養な人は考えることが苦手です。
何故なら考えるのが得意なら、そもそも無教養になど、ならないからです。
この特徴は無教養な人の最も根本的な特徴と言って良いでしょう。
考えるのが苦手だから、何か問題が発生しても、その解決ができません。
その結果、人のせいにしたり、適当な対応をして、かえって状況を悪くしてしまったりします。
最終的には「誰かが助けてくれる」と思っているので、誰も助けないと「助けてくれないのが悪い」といって他人のせいにします。
何かを考える、という、行為は最終的には想像力に帰結します。
従って無教養な人は想像力が極端に貧困であり「物事を色々な角度から見る」とか「相手の気持ちを汲み取る」とか「何かを作る」という行為は全くできません。
そもそも、こういった事に興味も示しません。
そして、それが原因となり色々なことをやらかしてくれます。
2.自分の意見を絶対に曲げない
人間、誰でもプライドがあります。
そして無教養な人もプライドがあります。
そして「考えることが苦手」なので、何かを理解する、ということも当然苦手です。
つまり他人の意見が自分と違った場合、それを否定するだけの論理を構築することができません。
その結果。
意見が対立した場合、力業で、とにかく「絶対に自分は正しい」と押し通すしかありませんそうしないと自分のプライドを守れないからです。
無教養な人は、それまでの人生で自分より優秀な人を沢山見てきているのですが、そのことで内心、プライドが傷付けられた経験が多く、プライドが傷付けられることには非常に敏感です。
まだ意見の対立にまでなっていないのに、その気配を感ずるや、早くも防御態勢に入ってしまう人も多いのです。
そして経験的に「自分の意見を曲げたら負けだ」と思っています。
つまり聞く耳持たない、という人は間違いなく無教養な人です。
3.自分の感情を押さえられない
無教養な人=考えることが苦手な人を大脳生理学的に考えてみましょう。
実は感情というものは偏桃体という部位が司っています。
偏桃体は五感から入ってきた情報を元に「それが自分にとって危険なものかどうか」を判定する役割を担っている脳の中でも最も古くからある原始的な部位です。
いわゆる防衛本能の総本山と言える部位で、動物や昆虫にも存在しています。
しかし人間の偏桃体は「危険なものかどうか」だけでなく、いわゆる喜怒哀楽、それと愉快、不愉快という判定もしています。
ですので、もし人類が偏桃体の判断だけで行動していたら、すぐに殺し合いや戦争が始まってしまいます。
しかし人間には前頭前野と呼ばれる比較的、新しい脳の部位があり、この部位が偏桃体の判断に理性的な歯止めをかけているのです。
つまり前頭前野は理性の総本山と言えるでしょう。
そして前頭前野の発達具合は人により差があり、考えるのが苦手な無教養な人ほど前頭前野が未発達です。
ですので自分の感情を抑えることができません。
4.相手のことを考えない
想像力というのは理性力の高い人だけが持つ能力です。
従って無教養な人は想像力がありません。
その結果「他の人がどう思うか。
或いは、どう考えるか」ということを想像することができません。
その結果、相手のことを全く考えない行動、言動が非常に多くなります。
「相手の立場に立って考えてみる」ことなど全くしたことがないのだから当然ですが、正確に言うと「したことfがない」のではなく「出来ない」のです。
従って無教養な人に「少しは相手の立場に立って考えろ」と言っても、それは猫にワンと鳴けと言っているのと同じで、不可能な要求と言えるのです。
人は誰でも自分の意識から外へ出ることは出来ませんが想像力が豊かな人は、それを想像力で補うことが出来ます。
しかし無教養な人は、それが出来ないのです。
5.自己主張が強い
よく話をしていると、自分の自慢話ばかりする人がいます。
全然、別の話をしていても、必ず最終的には「自分の自慢話」に持ち込むのです。
人間は社会という集団を作り集団生活を送っていますが、その集団の中で「回りから一目。
置かれたい」という欲望を誰もが持っています。
教養のある人は特に、それを主張しなくても自然に周りが認めてくれるので自己主張する必要はありませんが、無教養な人は周りから自然に認められることは無いので、自分で主張するしか手段がないのです。
ですので「いかに自分は凄いか」ということを、とにかく主張します。
ですので、それに対し反論や否定的な事を言うと血相を変えて怒り出します。
満たされていない人ほど「満たされたい」という欲求は強いのです。
無教養な人は程度の差こそあれ、社会には一杯います。
ですが、今回、あげたことに合致する特徴を持った人は「相当にひどい無教養な人」です。
こういった方が、あなたの周りにも必ず何人かはいるでしょう。
ですが、それを批判しても意味はありません。
文中にも述べた通り「猫にワンと鳴け」と言っても無理だからです。
元々、神様ではない人間に100点は取れません。
そして、それを批判するあなたも「せいぜい65点くらい」です。
65点では優等生とは言えません。
実は85点以上の優等生は、そういった無教養な人を批判するのではなく「合わせてあげる」ものです。
なぜなら、それが「相手を理解する」ということだからです、