無償の愛を注ぐ人の特徴4個!自己犠牲を負いがち!

最終更新日:2018年3月29日

見返りを求めることなく、ただ相手のことだけを思いやり行動する。

そんな「無償の愛」を注げることは、素晴らしいことであると言えます。

しかし、人間が培うべき人格のゴールは「無償の愛」なのでしょうか。

そんなことはありません。

「無償の愛を注げる人が幸せ」とは限らないのです。

今回は無償の愛を注ぐ人の特徴をご紹介します。

1.常に自己犠牲を負っている

無償の愛を注ぐ人は、基本的に「自分のことよりまず他人のことを」という方針に基づいて行動しています。

例えば自分自身が仕事で忙しい時であっても、困っている同僚を見つけようものなら、自分の仕事を手放して同僚の手伝いを行う、そういう人です。

この場合もちろん同僚にとっては大きな手助けとなり、結果的に感謝してもらえることでしょう。

お菓子をもらったりご飯をご馳走してもらえたりと、相手からのちょっとしたお礼もあります。

しかし、それ以上に残るものがあります。

放置していた自分自身の仕事です。

同僚に手を貸した分だけ自分自身の仕事は遅れ、残業が続いたり、最悪の場合締め切りに間に合わず、上司から叱られるという結果になってしまうこともあり得ます。

よほど特殊な状況でない限りは、無償の愛には常に自己犠牲が付きまといます。

無償の愛を注いでいる本人はその点を直視し、問題視することができません。

「他人の喜び」が第一優先だからです。

しかしながら、人が生きていくためには多少の損得感情も必要です。

自分にとってのメリット、デメリットを考えつつ行動していかなければ、自らの身を滅ぼすことにもつながりかねないのです。

2.心に傷を負いがちである

無償の愛を注げるということは、他人のことを真剣に思いやることができるということです。

例えば友人の心が傷ついているときは、その感情を共有してあげることができます。

自分のことのように悩み、思案することができます。

これは人として素晴らしいことですが、裏を返せば「他人の痛みは自分の痛み」でもあるということです。

つまり、思いやる相手が傷心していると、自分自身の心も過度に傷ついてしまいます。

人の心は生きていく中で、傷つくことを回避できません。

ネガティブな思いを抱えたことのない人などいないでしょう。

しかし過度なストレスをためすぎないために、傷つく回数を減らすように立ち回ることは大切なことです。

「他人は他人」ととらえることは薄情ともいえるかもしれませんが、快適に生きていくためには必要な自己防衛策です。

しかし無償の愛を注ぐ人は感情の赴くままに、自分のことはおろか他人の傷までも負ってしまいます。

通常より何倍もの傷を自ら負い続ければ、いずれ心身に支障をきたしてしまうでしょう。

3.特定の相手と結ばれにくい

無償の愛を注ぐ人は、愛を注ぐ相手を選んだりしません。

自分の目にうつる全ての人々に対して平等に、惜しみなく愛を注ぎます。

まさに仏のような心の持ち主であると言えますが、こういった行為は必ずしも万人から歓迎されるものではありません。

誰に対しても無償の愛を注ぐことによって、自分にとって近しい誰かを傷つけてしまうこともあり得るのです。

例えば恋人がいる場合です。

誰に対しても優しく手を差し伸べるという行為は、恋人にとって必ずしもプラスにとらえられません。

「他の人に愛を注ぐ以上に、自分に愛を注いでほしい」、そう思われてしまう可能性の方が高いのです。

恋人同士という特別な関係になれば、対応の差別化を求めることはごく自然なことです。

それにもかかわらず、誰彼構わず手を差し伸べ続けていれば、いつしか恋人の不満は爆発し、離れていくことになるでしょう。

誰に対しても平等に愛を注ぐということは、自分にとって特別な相手を持たないということになってしまいます。

4.愛を押し付けてしまうこともある

無償の愛を注ぐという行為は、誰にとっても喜ばれるわけではありません。

世の中には「自分のことは自分の力だけで解決したい」「他人に干渉されるのは好きではない」という人も多く存在しています。

しかし無償の愛を注ぐ人は「他人が困っていたら手を差し伸べる」ことを反射的に行ってしまうところがあるため、その行為が相手の迷惑になるかもしれない、という考えまで至らないケースもあります。

「他人を助けたい」という感情にとらわれすぎてしまいます。

そのような視野の狭い状態で思うままに手を差し伸べたとしても、結果的に相手を困らせてしまうという事態につながりかねません。

無償の愛が、単なる自己満足へとなり下がってしまうこともありうるということです。

無償の愛を注ぐ人は、他人を思いやることで幸福感を得られる、素晴らしい人格の持ち主であることに間違いありません。

しかしそれが自分自身の現実的な幸せの構築につながるかといえば、全く別の話になります。

まずは自分の幸せを確保してから初めて他人のことも思いやる、こういった考え方を持って生きていくことが重要です。