25年ぶりにリーグ優勝した広島カープの黒田博樹が先日引退をしました。
彼がファンに愛される理由を紹介していきます。
1.FA権を行使せず残留
高校時代は控え投手でしたが、大学に進み逆指名で広島2位で入団した黒田は、チームのエースに成長しました。
アテネオリンピックにも出場しています。
2006年にFA権を取得し、他球団へ移籍の情報で賑わう中、ファンが動き、外野席に<我々は共に闘って来た今までもこれからも。 未来に輝くその日まで君が涙を流すなら君の涙になってやるcarpのエース黒田博樹>という横断幕が掲げられます。
シーズン最終登板には黒田の背番号15の赤いプラカードを満員のファンが掲げ、黒田はファンの気持ちに応え残留を表明。
<今後も国内他球団の移籍はない>と明言し、生涯広島を宣言しました。
<カープファン、カープの選手相手に目一杯ボールを投げる自信がなかったと>会見で発言しています。
この会見中堪えきれず涙する場面もありました。
このことで、市民に感動を与えたと評価され広島市民表彰を授与されています。
2.メジャー移籍するがカープ愛は変わらず
2007年のシーズンオフにメジャー球団のドジャースと契約を結びます。
記者会見では<また日本に帰ってプレーするならカープしかない>と語っています。
ドジャースからは4年契約を提示されていましたが<戦地に行くつもりでアメリカへ行く。 4年もそんな苦しいことはできない。 苦しい時間が短いほうが自分は頑張れる。 3年間できちんと成績を残せれば、4年目に同等かそれ以上の契約をかわせるはずだ>という理由から3年契約にしてもらいます。
彼の野球に対する真摯な姿が伺えます。
2009年には日本人史上3人目の開幕投手に選ばれます。
2012年にはヤンキースに移籍。
1年契約を結び、そのあとの3年間も全て単年契約でした。
これは目の前の1年間に全力で集中したいというのと、いつでもカープに戻れるようにとのことでした。
3.巨額のオファーを蹴りカープ復帰
2014年12月カープと契約したことが球団がら発表されます。
メジャー球団から21億円の提示をうけるなど複数球団が争奪戦を繰り広げたのにもかかわらず、年棒4億円提示の古巣のカープに復帰しました。
<いつ最後の登板になっても良いという気持ちでやっています、1球1球にどれだけ気持ちを込めて投げられるかと考えたときに、カープのユニフォームを着て投げて最後の1球になったほうが、後悔が無いと思い復帰を決断しました>と語っています。
今まで巨額のオファーを断って日本球界に復帰する例はありませんでした。
現役生活の最後は広島でと球団と交わしていた約束を守った黒田に男気に大きな反響がありました。
2016年には日米通算200勝達成し、その年に25年ぶりのリーグ優勝をしました。
リーグ優勝を決めた際の黒田と共に闘って来た新井が抱き合って泣いている姿にファンも感激しました。
そして、日本シリーズ前に引退を表明しました。
日本シリーズの第3戦に登板し、6回途中負傷降板してしまいました。
最後のバッターは二刀流で話題の大谷でした。
第7戦までいけば黒田の登板が予定されていましたが、残念ながら第6戦で日本ハムの日本一が決まってしまいました。
ホーム広島での最後の登板はかなわず日本一は逃してしまいましたが、リーグ優勝という最高の形で引退しました。
彼の背番号15は永久欠番になるとのことです。
広島カープの熱いファンたちの思いに応え、カープ愛を貫いた姿は男気に溢れカープファンのみならず沢山の人の胸を熱くしてくれました。
今季も先発ローテションを守り、10勝を上げているのにもかかわらず引退を決意した彼の潔さも彼の魅力です。
野球の成績はもちろんのこと、彼のまっすぐな性格、その姿勢が多くの人に愛される理由です。