見たこと聞いたことを何でも信じてしまう人を時々みかけます。
良く言えば純粋なのですが、近くにそんな人がいたら、本当にそれで大丈夫なのかと心配になってしまいます。
どうしてそうなってしまうのか、何でも信じやすい人の特徴をご紹介します。
1.人を疑うことを知らない
信じるということは、他人が言ったことはすべて本当だと思っていて疑いを持たないことです。
疑いを持たないというよりも、疑うということを知らない可能性が高いです。
今まで人に騙された経験もなく、みんな良い人だと心から思っています。
仮に騙されたとしても、それは誤解か何かの事情があると判断してしまいます。
それはある意味危険な考え方でもあります。
世の中には人を騙して利益を得ようとしている人間はいくらでもいます。
そんな人からすると、疑いを持たない人間は格好の標的になります。
世間知らずとも称される特徴ですので、本人にとってはあまり良いことではありません。
2.知識がない
子どもは簡単に人の言うことやテレビなどで見たことを信じてしまいます。
それは純粋さとされますが、言ってしまえば知識がないから鵜呑みにしているだけです。
どんなに荒唐無稽な話でも、そんなはずがないという知識がないので信じることができます。
それが子どもであれば可愛いところでもありますし、成長して改善されるので誰も問題にはしません。
しかし大人になっても簡単に信じてしまう人は残念ながら勉強不足だと言わざるを得ません。
常識ある大人なら分かることも、知識がなければ信じるしかありません。
その状態を招くことにならないためにも、知識は身につけておく必要があります。
正しい知識さえ身につければ改善の余地はある部分です。
3.考えることを放棄している
ちょっと怪しいなと思っても、疑いをもっているよりも素直に信じてしまった方が楽なものです。
ずぐに信じてしまう人は考えることが面倒で、放棄してしまっています。
疑いをもつと、その事実関係を確認したり、場合によっては相手に疑いの目をかけてトラブルにもなりかねません。
それは非常に労力がいることですので、出来れば避けたいと思っています。
余計な摩擦を生むくらいであれば、自分が何も言わないでおいた方がよほど良いと思っています。
確かに一見それは大人の対応のようにも見えますが、実際は怠慢でしかありません。
考えて苦しむことが嫌なので、言い訳をしてごまかしているだけです。
4.反省しない
何でも信じてしまう人は、何度でも同じことを繰り返しやすいです。
それは、騙した方が悪いのであり、自分は被害者だと言って反省しないからです。
その意見は最もで、騙した方が悪いのは間違いないです。
しかし、騙される方が悪いというのもまた事実です。
ましてや同じように騙されているようでは、何も成長していないのと同じです。
どうして自分が騙されたのかをしっかり反省していれば、何でも信じてしまう状態はいずれ卒業出来ているはずです。
騙した相手のせいにばかりして、反省しないのであれば、信じやすいというよりも学習能力がないと言えます。
過去から学ばなければあとでもっと大きな問題に繋がるでしょう。
5.甘えている
見たり聞いたりしたことが正しいのかどうかは、他の人が判断してくれればいいという甘えた考えがある人は、とりあえず全部信じてみます。
誰かがきっと助けてくれるだろうという甘えによって、自分の身を守る感覚が備わっていません。
他人の言葉を信じて恥をかく程度であればまだいいですが、闇雲に信じることは詐欺などのトラブルになる可能性も十分に考えられます。
そんな時に誰かに助けてもらおうとしても、誰も助けることなどできません。
騙されて不幸な目に遭ったとしても、誰もが同情してくれるという甘い考えも持っています。
同情してくれる人もいるでしょうが、同じくらい愚かだと思って突き離してくる人もいます。
そうなるとより一層本人は傷つくこととなるでしょう。
甘えの気持ちはとても危険なものと言えます。
6.自分を過信している
何でも信じてしまう人は、自分が騙されるわけがないと高をくくっている部分があります。
自分を過大評価してしまっていて、客観的に分析することができていません。
相手のことも自分より下だと思っているので、そんな人物が自分のことを騙せるわけがないと考えます。
相手が自分を騙すとも考えていないので、言われたことは簡単に信じてしまいます。
うわさ話なども自分は知識が豊富だと思っているので、本当は根拠がなくても新たに知識を得たという喜びで信じます。
他人が信じていない話しなどは尚更で、博識な自分には納得できる話しだと悦に入ってしまいます。
少し痛いところもありますが、自分を信じ過ぎているが故に何でも信じることになります。
何でも信じてしまう人は馬鹿にされてしまうことが多々あります。
しかし残念ながらその評価は的を得ていると言えます。
信じることは悪いことではありません。
とても純粋に生きてきているので美徳とも言えます。
ただ、何でも信じて傷つくのは本人ですので、周囲にそういった人がいたらやんわりと正してあげることも必要です。