車の運転が怖いという人の心理3個

最終更新日:2017年7月28日

最近、年配者が車の運転をすることによる交通事故が問題視されていますが都心ならまだしも

、地方では、車がないと何もできないという状況が一般的であります。

そのような状況において、「車の運転が怖い、苦手だ」と感じながらも、

やむを得ず運転を続けている人は案外多いもの。

そんな「車の運転が怖い人の特徴」をご紹介します。

1.ネガティブな想像を膨らませる、過度の心配性

「車の運転が怖い人」は、心配性です。

テレビで、交通事故があったとのニュースが流れるとまるでわが身に起こった出来事でもあるかのように、深刻になります。

普通の人なら、「事故なんて、めったに起こるものでは無いけど、まあ、気をつけよう」程度の反応なのに対し、

「運転が怖い人」は、「自分が明日、こんな目にあったら、どうしよう」と考えます。

さらには「もし、事故を起こしたら、会社を辞めなければならない」「もし、事故を起こしたら、子供に迷惑がかかる」

「もし、事故を起こしたら、すべてを失ってしまう」などと、どんどん最悪の事態を想定し、恐怖感を募らせていく傾向があります。

こうして、ますます「車の運転が怖い」という思いを強めていくのです。

2.運転に必要不可欠とも言える「特定の能力」が欠如している

運転には、「特定の能力」が必要です。

この能力を持ち合わせていれば、免許を獲得して、すぐに、スムーズに運転できますが持ち合わせていなければ、

いくら練習しても上達しません。

上達しなければ、トラブルが多くなりますし、苦手意識が生まれます。

そうなれば、「運転が怖い」と感じて当然ですよね。

では、車を運転するための「特定の能力」とは何でしょうか。

例を挙げると、それは「同時にいろいろなことをこなせる能力」や

「瞬時に、判断し、行動できる能力」「トラブルに対して冷静に対処できる能力」などであると言えます。

これらの能力が欠如していると、普通の人なら、回避できる事故でも避けられずに、

大きな事故につながる可能性が高いと言えます。

残念ながら、本人の努力では、改善できないことが多く、程度の差はありますが、

場合によっては「車の運転が向いていない」と判断して、運転自体をあきらめる潔さも要求されるかもしれません。

3.「危ないかも」と「車がないと不便かも」という思いの間で、揺れ動く人たち

「車の運転」をするか、しないかを決めるのは自由意志です。

「危ないかも」「ちょっと無理かも」という思いと「車がないと不便」という思いを両天秤にかけつつ、

やむなく運転を続けている方も多いかもしれません。

「運転が怖い」と感じる人は、この両天秤の重さが、ほとんど同じか、

もしくは、「車がないと不便」という側が、やや勝るというレベルの人が多いと言えるでしょう。

運転を辞めてしまえば、気持ちは楽になるけれども、生活は不便になることは目に見えており、

結論を先延ばしにしたまま、とりあえず、運転を続けているという状況ですね。

「ちょっと無理かも」と思っても、続けることで、誰かに迷惑をかけるものでなければ、

続けるか否かは、あなたの自由意志であると言えます。

しかし、車の運転の未熟さは、時として、「人の命を奪う」という取り返しのつかない事態を招きます。

そういった意味で、この意思決定は、早急かつ慎重に行うべき、特異な内容だと言えるでしょう。

今回は、「車の運転が怖い人の特徴」について、ご紹介しました。

車がないと不便なのは事実ですが、その責任の重さを改めて、考えてみてから、行動するべきですね。

社会全体としても「運転が怖い人」に対して、ただ、運転するなと強制するだけでは、事態は改善しません。

根本的な解決のためには、車を手放してもいいと思える環境づくりを促すことが、求められると思います。