自己犠牲ばかりする人の心理4個!自分を認めて欲しい!

最終更新日:2018年4月7日

世の中には、ためらいなく自己犠牲を負うことができる人がいます。

多くの人は自分にとってより良い状況を好みますが、自己犠牲を負ってばかりの人は、こういった視点を持ち合わせていません。

自分が痛みを負うことで誰かが喜び、幸せになるのであれば、積極的に痛みを負います。

このような人たちはどういった心理状態にあるのでしょうか。

1.他人が気になって仕方がない

そもそも自己犠牲を負うためには、周囲の人たちの状況をしっかりと認識していなければなりません。

自己犠牲ばかりする人は「他人の喜び」が「自分の喜び」よりも常に上にあるよう心がけているため、周囲の人が今の状況をどう思っているのか、何か困っていることはないのか、そしてそれは自分自身の状況と比べて幸なのか不幸なのか、常に見張っている必要があります。

よって、一般的な人と比較して、自己犠牲ばかりする人は他人のことをよく見ています。

よく見ているからこそ、周囲の人たちの身に何かが起こったとき、即座に手を差し伸べることができます。

「自己犠牲をする」という目的を達成するために常にアンテナを張っている、そういった特徴を持っています。

2.自分を悲観的な状況に置いていたい

自己犠牲ばかりする人は、自分が客観的に見て「良い状況」に立たされているとわかったとたんに落ち着かなくなります。

これは、他人からうらやましがられたりすることに一種の恐怖感を抱いているということを示しています。

うらやましさが嫉妬に発展して、いつしか他人から疎ましがられるかもしれない。

そういった極端な意識が深層心理の中にあるからこそ、他人から嫌われることを恐れて、いつも自分を悲観的な状況に追い込んでいたいと考えるのです。

自己犠牲は、自分をそういった状況に追い込むために都合のいい手段です。

自分に負担をかけるだけではなく、他人を良い状況に持っていくこともできる。

一石二鳥で、手っ取り早い方法であると言えるでしょう。

こうして常に自分を悲観的な状況に置き、他人から「あの人は大変だな」「かわいそう」と思われるようにすることで、精神的な安心感を得ているのです。

3.心のもやもやを残したくない

積極的に自己犠牲を負う人は、常に心の中をクリーンな状態にしていたいという考えが強いです。

一般的な人であれば、例えば周囲の人が困っているとき、その人に手を差し伸べる前に、まず自分自身の状況について考えを巡らせます。

そして「助けてあげたいけど、そうすれば自分にデメリットが生じる可能性がある」と判断した時は、あえて手を差し伸べることをしません。

こういった「見て見ぬふり」の行動は、時にこれをした張本人に罪悪感をもたらします。

しかし、他者とのやり取りの中で、人は多少なりとも常にこういった罪悪感や、なんとなくもやもやとした気持ちを抱えているものです。

それでも「自分自身のためには仕方ない」と自分なりに処理して、頭を切り替えつつ生きているものです。

一方で自己犠牲ばかりする人は、このもやもやとした気持ちを上手に処理することができません。

見て見ぬふりなどしようものなら「私は人間として最低なのではないか」「自分のことばかり考えて、いつか罰が当たるのでは」とネガティブな思考で頭の中がいっぱいいっぱいになります。

結果的にそれに耐えられなくなるからこそ、自分を犠牲にしてまでも他人に手を差し伸べるという選択肢を取ってしまいます。

4.自分を認めてほしい

自己犠牲ばかりする人は、承認欲求が強い傾向にあります。

「感謝されたい」「優しい人間だと思われたい」という思いが強いからこそ、自己犠牲を負うことに何のデメリットも感じないようになってしまっているのです。

自己犠牲は、他人からの感謝の意や好意的な感情を得るために、最も便利な方法といえます。

自身を犠牲にしてまで手を差し伸べてくれたことに対して、悪く思う人はいないでしょう。

自己犠牲ばかりする人にとっては、自己犠牲によって得た他人からの「ありがとう」「助かった」「優しいね」といった言葉が、自分の心を満たしてくれる最も重要な要素となってしまっているのです。

自己犠牲ばかりする人が自分を幸せにする手段は、次々と自己犠牲を払って他人からの感謝を得る、これ以外にないと言えます。

逆に自分自身を優先させるような行動は何であっても、他人からの感謝や信頼を崩壊させる「悪」でしかないという極端な心理状態にあります。

自己犠牲ばかりする人は、もちろん他人のことを思いやって行動している部分もありますが、結局のところ自分の心を満たすために行動している部分も強くあります。

自分の心を満たすための都合のいい手段として、あえて自己犠牲を負っているということです。

自分をしっかりと持っておらず、他人からの反応を通してでしか自分を見つめることができない、そういった人が自己犠牲を払う傾向にあるのかもしれません。